先頭を行く案内人、僧侶(神道式の場合は神職)、さまざまな葬具を手にした人、位牌や香炉を持つ人。輿に乗せた棺の後には、親族、使用人、会葬者などが続く。また、飾り物として、白衣の看護婦(明治の葬儀にはなぜか人気があったという)、花籠、放鳥籠(出棺前に鳩を放つイベントはこのころからあったのだ)などがオプションとして加わる。「造花放鳥」は明治の葬列の流行だったというから、まるで商店街のパレードだ。葬列には、棺をかつぐ「駕籠かき人足」、墓穴を掘る「穴掘り人足」など、かなりの人手が必要である。ほとんどはその日限りのアルバイト。貧しい層には葬列が貴重なバイト先であり、これだけで食べているフリーターみたいな人もいたらしい。このような派手な葬列は、しかし、大正に入るころにはぱったりと姿を消す。
長野県下では、子どもたちが集まって、野原にかまどをつくり、そこで御飯を炊いて、持ちよったおかずをまず田の神に供え、その後にみなで会食するという風習があった。また新婚の夫婦が、かつて焼米をお土産にして、嫁の実家に里帰りをしたという。八十八という数字が、コメに対する農民の素朴な信仰をよびおこしているのである。ところで、八月を和名で葉月と称し、それはもみじが落葉することからくる命名であるといった。つまり「葉おち月」という意味になるが、江戸時代の国学者賀茂真淵は、それは間違いであって穂発月の意であると述べている。というのは、この時期に、稲が穂を張ってくるからである。コメに素朴な信仰を寄せ、稲穂の成長に敏感な日本人の気持ちをうけとめるとするならば、真淵説のように八を「はり」とよんだとする説の方がよいのかも知れない。さて、沖縄の八十八歳の米寿祝いは旧暦八月八日に行われる。「ユニの祝い」(ヨネ〔米〕の祝い)、「トーカチの祝い」(斗掻きの祝い)ともよばれる。枡に盛った穀物を平らに掻きならす道具の斗掻きのミニチュアを、引出物に添えて招待客に配った。これはかつて鹿児島県の各地にもあったそうで、鹿児島からの受容と思われている。
会社は社員が仕事をしやすい環境をつくるため、机やパソコン、ボールペンや紙などを用意している。毎日自分だけが専用で使い、「○○さんのパソコン」「○○さんのボールペン」などと言われていると、自分の持ち物のような感覚になるかもしれないが、自分で買ったもの以外、すべては会社の所有物。会社の中で使うのが原則で、ましてや消耗品を自宅用に持ち帰るなど、窃盗に等しい。化粧室に「トイレットペーパーを持ち帰らないで」という張紙がされている会社も見たことがある。それだけ持ち帰る人が多いということなのだろう。しかし社外の人間から見れば、そんな会社は全体的にルーズに見え、信頼も安心感もなくなってしまう。できる人と評判を集めていた人が、会社でお客様がサインするための高級万年筆を当たり前のように胸ポケットに入れ、雨が降ってきたからといって「これでいいか」と人の傘を平気で持っていった現場にも出くわした。これには見ていたまわりも唖然とし、それまでの彼への評価も、あっという間にがた落ちとなった。家でも仕事をするからといって、会社のパソコンを持ち帰り、音楽をダウンロードしたり、プライベートな写真の編集をしたりするのも考えものだ。パソコンが減価償却されるだけでなく、最近ではネット経由での情報漏れという危険もはらんでいる。「ちょっとくらいならいいか」「ほかの人もやっている」ではすまされない。会社のものは「業務以外に使わない」「私物化しない」。消しゴム一個でも気をつけたい大原則だ。